みーさんのブログ

心を自由に♡健康な心と体のメンテナンス

「老いる」ということの新しいイメージが必要だと思った話

老いる」ってなんだろう、と考えさせられる話を聞きました。


転んだことがきっかけで

介護が必要な体になってしまったお父さん。

妻に下の世話までしてもらわなくてはならなくなり、

お父さんが嫌いだったと娘2人にもらした妻は

看病疲れで気がおかしくなりそうになってしまいました。


次女はお父さんを施設に入れたらいいと言い、

意見の合わない長女とケンカし、

結局、不憫に思った長女の旦那さんが

「うちで一緒に暮らしてもらおう」といってくれました。


けれども、そのお宅は自宅でお店をしているため、

お父さんのお部屋をつくることができなくて

家の外に、トレーラー(車であるが家のような設備が整っている)をおいて

長女が行き来するようになったということでした。


私はこの話を聞いて、

お父さんの心はどんな状態であるのか、とても気になりました。


想像に過ぎませんが、一家のために身を粉にして働いた、大黒柱だったお父さんが、

定年してやっと好きな人生を送れると思ったら

自分で自分の事をできない不自由な体になってしまい


妻にも疎まれ、

居場所がなくなってしまう。

家の都合で仕方ないとはいえ、

誰かが来るのを待つしかできないトレーラーにひとりぼっち。


老いることが何だか悲しくなってしまうお話です。


時間空間の中で5感に頼って生きていれば、

必ず生老病死にとらわれて

老いることがネガティブなものになってしまいます。

老いていくにつれて尊厳のない生き方をせざるを得ない。


老いることが人生を豊かに過ごした蓄積の結果として敬われるようになるには

時間も空間も存在もない「今ここ」に心を置いて生きる、

0感覚が必要なのです。


人間が生きるのは

体が生まれてから死ぬまでを過ごすためではなくて、

魂の進化のために生きるのです。


知っている世界をどんどん切っていって、

とらわれないスッキリの心で生き続けることが

老いる」ことの新しいイメージになればと思います。