みーさんのブログ

心を自由に♡健康な心と体のメンテナンス

情報は良くも悪くも③

自分がどんな基準から考えをしているのかを、自覚がないということは不幸の始まりとさえ思います。

 

なぜならば、人生は選択の連続なのに常に条件状況、環境によって影響を受け、感情が上がったり下がったり、自分の人生を自分がベストな選択をできていないということに繋がるからです。

 

先日、あるイベントでお会いした方と一緒に夕飯を食べました。
そのイベントは、日本の憲法の関連のイベントでしたが、自分が今どんな状態なのかをまず自覚し、【憲法が何なのか】【今の憲法を取り巻く環境】を理解し、さらに自分の人生の中の自分事という意識で、国政に反映させる意識を持とう、必ず選挙に参加しよう、と思えるような内容でした。選挙の開票率が下がっている中で、本当に問題意識を持たされた内容でした。 

 

そんなイベントでお会いして、世の中を良くしていきたい、自分が今できる一歩から動き出そうという意識を持った方たちだ、と感じたのでとても楽しく、お互いの思いを共有したくなりお会いする流れになったのです。

 

話をしていくと、今の日本に対する捉え方が違うことに気付きました。相手の方もそう思ったと思います。もちろん、大前提の基準がそれぞれ違う上に、どんな情報を取り入れて、どんな判断を強化してきたかの違いで決定していくものなので、既にバラバラのところからスタートしている状況であり、自分と違うからと言って〇も✖もないのです。

 

日本を、みんなが幸せに生きられる国にしていきたい、そのために自分ができることから行動していきたい、という思いは共有できるところでした。同じ方向性を向いていると感じられる感動がありました。

 

その感動を共有して、ビジョンを語りたいところでしたが、その違いに気づいた相手の方は、自分がいかに正しいか、こちら側が間違っているんだ、というところを強調したくなってしまったようです。

 

人間の脳の認識のクセというものがあるのですが(脳の認識についてはコチラ)

その機能的限界(全体を取ることができない、共通を取ることができない、今ここを取ることができない)を知らないままでは、自分の背景だけではなく相手の背景も理解することが出来ず、出発が違う人間同士が組織をつくる時に団結に行かず、結局違い探しに感情エネルギーを無駄遣いし、自分の作りたい現実、現実化させたい未来の方向性に向かうのを邪魔してしまいます。自分が取れるのは部分の部分。それも意識化できる範囲の中でのことなので、全体のわずか0・5%にも満たないのです。

 

その後の時間は、これからのビジョンを共有するよりも違いを語りたい相手の方の勢いに、私はいかにいろんな情報が巷にあふれているかということ、今までも立派なビジョン、未来への設計図を語りいいことを言う団体、個人もあったけれど、なぜ、世界がまだ争いが終わらないのか、それは団結ができないから、ということ。考え方の違いを同じにすること、相手を制圧することばかりに一生懸命であり、個人と個人だけではなく、組織と組織も同じ。考え方の違いが結局戦争を起こしている、血を流してる、流していないに関わらず、全部戦争だというような話をしました。

 

相手の考え方の背景を理解して共有して初めてお互いの理解が始まる。まずは背景を共有する時間が必要と思った出来事でした。