子どもたちの言葉の遣い方にモヤッとしてしまう時に
今日は一日雨。
残暑もひと段落し、珍しく家族全員が出かけることなくまったりと休日の午後をリビン
グで過ごしていました。
食卓でパソコンに向かっていたところ、向かい側で息子たち二人が何やら話をしている
のがふと聞こえてきました。
「死ね!」「お前よー」「ふざけんなよー」
え!と思って視線を向けると、
顔は笑ってるんですよね。
二人とも。
喧嘩しているわけでなく、お互いに言い合ってふざけてるんです。
「死ねとか、そういう言葉は言わないでー」
この一瞬の出来事に、言葉一つの裏に、お互い違うイメージをもってるんだということを感じながら、二人にそんな言葉だけをかけて、作業の続きをしていました。
そういえば学校の面談があった時、子どもたちの中での言葉遣いが大人からすると、言われて傷つくのではないか?と思うような言葉が平気で飛び交っていて、都度声を掛け注意してはいるのですが、、と先生が話していたなー、と。
ことことだなー、と思ったのでした。
「死ね!」なんて言葉が友達との日常会話で殆ど出てこない時代を過ごしてきた私からすると、息子たちのやり取りはびっくりするものだったわけです。
昨今 時代の違いや年代の違いによって言葉の使われ方、言葉そのものイメージが変化し、もともとの使われ方をしなくなっていたり、意味することがすっかり変化していることを感じますが、今日の出来事は、親子の間でそのことを痛感したのでした。
パッと5感覚で受け取った情報に対してフッと感じた一瞬のことにも、実はすべて自分のオリジナルの「観点」が働いています。その「観点」によって生みだされる感情や考えのパターンも人それぞれなのです。
それが分かった上で、自分の中に生まれる違和感の中に留まり感情のままに叱りつけるようなことなく、息子たちの世代のコミュニケーションがあるんだ、ということも認めつつ、
必要であれば、親の側の「観点」の背景も息子たちに共有していける、そんなコミュニケーションをしていこう、と思った出来事でした。
観点の違いから起こるコミュニケーションの交通事故。
それを解決できるのがnTech(観術)です。
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