みーさんのブログ

心を自由に♡健康な心と体のメンテナンス

母の日に。

昨日は母の日でした。

我が家では毎年、旦那さんがそれぞれの母に鉢植えの花を送るのが定例となっています。そして、私はどんな花が送られているのか良くわからないので、母たちからのお礼の電話にいつも話を合わせている、というのが現実です。

 

そんな感じでひっそりと旦那さんが役割をやってくれているため、あまり子ども達がいる中での話題に母の日は出てこないせいなのか、幼稚園の製作で母の日のプレゼントをもらって以来、気づいたら息子達から何も贈り物がありません笑

 

とはいえ、最近仕事で帰りが遅くなったりして、ちょっとしたお手伝いを頼んだ時に、以前は「なんで俺?」という言葉が息子達全員から返ってきたものですが、言わなくても洗濯物を取り込んだり、率先して1番にお風呂に入りたい子がお風呂洗いをやっていてくれたりと、助かっているこの頃ですので、日常のそのことも贈り物と同じくらいとても嬉しかったりします。

 

日ごろの感謝の気持ちを込めて、、近くにいれば直接親孝行や言葉で感謝を伝えたりのやり取りが簡単だけれど、離れて住んでいれば特にそんな気持ちのやり取りを1年に1回ぐらいしたくなりますよね。

 

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母の日にちなんで、お母さんについて考えてみました。

お母さんというと私には、真っ先に浮かぶのが、家族にご飯を作ってくれてるイメージ、、、が大きいようです。

 

私の家族を振り返ってみると、、、、。

実家は共働きでしたので、専業主婦の方と比べると母は家事と仕事の両立をしていたので忙しかったはずなのですが、ご飯づくり、、ということに関しては父の記憶は全くないんですね。

 

最近ではイクメンとか、男性社員が育児休暇を取得することも増えたり、そして自己紹介の時に「主夫してます!」という方も珍しくはなく(身近では耳にする程度ですが、、、)必ずしもご飯を作る人がお母さんではなかったりするわけです。

ですから、お父さんも食事をどんどん率先して作っている家庭に育った子どもは、お父さんのイメージがご飯を作ってくれる人のイメージになっているんでしょうね。

 

そして、そのイメージは大人になって自分が同じ立場になったときに、いいイメージがあればそのイメージを使って自分も親の様にふるまっていくでしょうし、

 

悪いイメージがあれば、そうならないようにしよう、と逆の行動をとる傾向があります。これがいわゆる「半面教師」

 

生きていく中で、どんな環境でどんな経験をして、それをどのように解析していくかは、その後自分がどんな人生を送るのかにとても影響がありますね。

 

  

「お母さん」をもっと深めてみます。

 

私の母はいつも、忙しくてもきちんと家族の食事の支度をしていました。

そして、週末の夜には家族揃って当時はやりだしたファミリーレストランに家族で出かけることも多かったです。

 

あとから聞いたのですが、父は食事作りのサポートはしなかったけれど、母が忙しくて食事作りができない時には、みんなで外食に連れ出す、ということをしていたそうです。そして、そのことは凄く嬉しくてとても助かったということです。

 

 

 

私は兄弟が男ばかりでしたので、母にお手伝いを頼まれると、「女だからってずるい」と言っていたそうです。(あまり覚えてはいません)ですが事実、自分が結婚することになるまではすべて母にやってもらっていたといっても過言ではないです。

 

女として生まれたけれど(兄たちと同じように)家事はやらなくても大丈夫、という時期を多く過ごしているので、結婚してからもやってもらえるのであればやってもらおう、できる人がやったらいい、と思っていました。

 

そのことを母に伝えたことがあったのですが、母の時代は女がやるのは当然でそして、母の下にも3人の妹たちが居て長女として手伝いも当たり前に思っていたし、同居していたお兄さん達が家事の手伝いをしないことにないして、不公平だとかずるいだとか、そういう風に考えたことがなかったそうです。まして旦那さんにご飯を作ってもらいたいという風に思うこともなかったそうです。

 

私が不公平だなどと言い出したときは、同じ女の子の兄弟がいないから不公平に感じるんだなーと思っていたようですが、お手伝いの強制をされるようなことにはなりませんでした。

 

そして面白いのは、我が家の息子たちの様に、男子のみの兄弟の場合も、以前はお手伝いを頼むと俺の方がやらされてる、とそれぞれが主張していたんですね。そこには男女に関わらず、好きなことをしている時に邪魔されたくないとか、やりたくないことを押し付けられることに対しての反発の心が共通としてあったようです。

 

子どもが赤ちゃんの頃は生理的にも、授乳だとかの自分にしかできないから一人で頑張らなければいけないことも多いうえに、旦那さんの食事の支度や家事などやることも多く、いつの間にか大変な気持ちになってしまったことがありました。そんな心が空回りして一人でイライラしたり、旦那さんに対してもっと率先して色々してくれたらいいのになーと不満に思うこともありました。

 

実家の父の様には、旦那さんは今日は外食しよう!戸は連れ出してはくれませんでしたので(笑)結構長い時間、食事作りからは逃れることはできませんでしたし、旦那さんの方から率先してくれたらという勝手な期待を持っていたのです。

ですが、もう一人じゃ無理という限界が訪れて初めて今までの当たり前を壊したい思いになったんですね。徐々にでしたけど。

 

ストライキを起こしてみて、初めて私が抱えていた不満を旦那さんが認識したり、やってみて初めて旦那さんの支えに気付いたり、、、

相手と交流をしながら、お互いのイメージを違う角度に広げていく交流の挑戦が出来た今はとても楽になれました。

 

我が家の息子たちは「お母さん」「お父さん」にどういうイメージを持っているのか、聞いてみたらどんな家族像を作っているのか、面白いかもしれませんね。