無限の可能性そのもので、出会いませんか? ①
境界線のない、尊厳そのもの、無限の可能性そのもの
そんな心で自分のことも相手のこともみることができる。
そんな世の中になったらいいと思いませんか?
私がそう思うに至ったストーリーを改めてまとめたいと思います。
私には世間的には《障害》を持っている、とされる4歳年下の弟がいます。
両親がお店を経営していて、母が仕事が忙しかったこと、弟の身の回りの世話で忙しかったことで、私や2歳上の兄にまでなかなか手が回らなかった状況があったのかもしれませんが、あまり、干渉されることがなかったように思います。
そんな時、父が運転中に事故に巻き込まれ2年近く入院することになり、当時小学校3年生だった兄がお店番をするようになっていたんです。
私はというと、人見知りでお客さんが来ること自体が好きではなく、当然お店番はできなくて、お小遣いをくれるって言われてもやりたくない!と宣言するくらいでした。
父の事故をきっかけにお店番をできるようなった兄は、両親にとって役に立つお兄ちゃんになっていきました。そんなところを羨ましいな、と思って、たまには私もお手伝いをしてみようかな、とチャレンジをするのですが、
不安だから、ここに居てね、って母に言っても、ちょっとだけごめんねと言って母がお店を離れたスキを突いたようにお客さんが来てしまって、その時私はどうしたらいいかわからず不安になり、母を慌てて呼びに行きました。そこから、お兄ちゃんはできるけど、私はできない、私は役にたたないんだって自分のことを思うようになっていったんです。
何度かお店番をやってみようとすることもありました。ですがやはり同じようにお母さんはずっと一緒にいてくれず、また一人にされるという不安に出会い、結局お店番がますます嫌いになっていきました。
ある時、私が弟のお世話をすることで母に感謝されたことがあって、それが凄く嬉しかったことを覚えています。そこから自分ができないことはやめて、自分が安心できる範囲のことで役に立つことをしようと思うようになっていきました。
そんな子どものころに体験から、チャレンジしようとすると一人になるという不安、恐怖のイメージが来るようになりました。そして、どうせ私はできないんだ、という無意識に自分自身のIDを固定してしまったようです。
そして、お母さんに感謝された成功体験から、自分のできる範囲で頑張って役に立つ私になれるように頑張る,それが私のパターンでした。
人間はこのように、0歳から12歳までの間に自分のIDを決めつけてしまいます。
そして、そこからそうならないように頑張ろうとする無意識エンジンを強化させていき行動がパターン化されていきます。
役に立たない、できない私の固定はこの後、どうなっていくのでしょうか。
続く