心を傷つけない、傷つかないのが当たり前のコミュニケーション
中学1年生の三男が、最近あることを話してくれました。
小学校1年生の時に、学校に行きたくなかったのだそうです。
そういえば、朝毎日起こすのが大変でした。
毎日一緒に通っている友達が近所にいたのでなんとなく時間になれば朝は出かけていたけれど、そういう気持ちだったんだ。と驚きました。
どうしてそんな気持ちだったのかを話してくれました。
三男からすると、その時はお母さんに話すことができなかったというのです。
1年生の時、三男は体も小さく給食の好き嫌いもあって、給食の時間が終わっても間食することが出来ず、中廊下に机を移動させられて、みんなが掃除の時間、そこで食べていたようです。
全く知りませんでした。
無理に食べさせられた時は、嘔吐してしまったようです。
給食が嫌で学校に行きたくなかった。
長男や次男も給食で苦手なものが出てきた時には分量を減らしてもらったり、また、我慢して食べたりなど、また、それも先生に寄ってOKだったりダメだったり。
先生が違えば対応も異なると思います。
それと同じように子どもの側も、たとえ兄弟であっても個性がバラバラなのでたまたま摩擦衝突するめぐりあわせだったのだろうと思います。
他にも、体育の跳び箱を飛べなかった時には、「ふざけるな」と言われたり、
図工の時に作った作品を無言でゴミ箱に捨てられたというのです。
もう何年も前のことで、当時の先生は他の学校に移っているし、小学校も卒業しているので後から聞いてどうにかなるものではないけれど、聞いていれば、先生に確認して、子どもが一方的にこうされた、と思っているけど本当はどういうことなのかを聞けたのに、と思いました。
当人は当時私に言えなかったというのです。6,7歳の時ですから、自分に何が起こっているのかがわからなかったんでしょうね。
そのことを最近になって、当時のことをあの時本当にあの先生マジムカついた、
とか怒っていますが、もしかしたら、こんな風に後になって怒りの対象になることもなかったんじゃないかなと思いました。
人間は部分認識だから、相手の言葉、表情、態度、行動などから、自分の認識のフィルターを通してしか受け取れず、裏にある相手の心や考え感情などはわかりません。
いつまでも心が傷ついたまま、相手を恨んだままの関係性のままは本当に辛いなと思います。私も三男の言葉を通して、三男が朝起きられない背景はこれだったのかもしれないと思うと、今更ながらゆっくりと話を聞くことが出来たらよかったのにと思います。
思いがけない三男の告白に、分かり合えるコミュニケーションの必要性を感じるのでした。
言語化できない子ども達がいるんですよね。
自分の体験を含め、相手が子どものあるなしに関わらず、相手の目線で相手の立場チェンジして出会うことがすべての人間関係の問題の解決になると思っています。