6月4日に思うこと。
平和ってなんだろう。
仲間たちとの話から、思ったこと。
Wikiから引用すると、平和(へいわ)とは、戦争や内戦で社会が乱れていない状態。
漠然と戦争がないから平和だ、というぐらいのイメージのまま平和について考えていました。
でも、日本にいるとあまり肌に感じることはないけれど、戦争のない世の中なんて、紛争や内戦のないことなんて、戦争と戦争の間だけではないの?と思うぐらい歴史を振り返ってみても、戦争は繰り返されています。
2日前、家族がテレビをつけっぱなしで何気なく目にした番組で、30年前の中国の天安門事件のことを報道していました。
学生たちの民主化運動を中国政府が武力弾圧した、という事件です。
このニュースはリアルでメディアから見聞きしたのを覚えています。確か新聞も当時号外を配ったような、、、とにかく大きな写真で新聞に掲載されていたような記憶があります。
今日の日にちを見て、ああ、だから特集を組んでたんだな。。と思いました。
そう、私は2回あったとは知りませんでしたが、2回目の1989年6月4日に起こったのを天安門事件というのだそうです。
当時は全世界から非難の声が上がっていた中国ですが、国内では共産党が当時の事件の情報に触れさせないように統制し、天安門事件という言葉を出すのさえタブーとなっていて、無かったかのことの様にしようとしてるのは明らかのようですが、
政府が国民に対して武力を持って制圧するということは、思想の自由がないし国と国との戦争ではないにしても、国民が安心できない、安全が保障されていない、これって国内は平和と言えるのか?と思ってしまいました。
そして日本の中は表向きは個人が自由になっているけれども、メディアが大企業などのスポンサーに不利なことは絶対報道しないし、権力あるものがニュース番組などの情報をコントロールしているんじゃないかとも思える。テレビによって、戦後の日本は平和ボケになってしまったと言われるのが、すごくよくわかる。
結局、日本も中国も、知らぬ間に統制されているのは変わらないと思ったんです。
それではなぜ、統制する人が現れるんだろう?
統制しなければ、不安があるということ。
困るということ。
平和って、誰かに統制されて成り立つものですか?
誰かに統制されてる状態の自分の心はどうですか?
戦争がないから平和というものではない。
自由がないから。愛がないから。
心が自分を責めたり、相手を責めたりする。
繰り返し繰り返し何かを責めること。
もう早く、終わりにさせてしまいたい。
日本から、平和の完成させる。
それが令和の時代。
毎瞬毎瞬が、自由を感じて愛を感じて、
自分自身が自由になる、自分自身が愛になる。
これが日本が果たす役割だと思います。