無意識だから自分のことがわかりません
子どものころの事件をきっかけに、何かそこから自分自身を決断させた
そんな記憶ないですか?
私は、母親との関係性の中で、役に立つと認められるんだ!
と、とっても幸せに感じた発見=経験がありました。
長らく、その認められた!という経験の方は記憶としては浅い方に残っていて
反対に、役に立たない、と自分で自分に対して感じたその記憶はあまり見ないようにしていたのか、意識に上がることが大人になってから少なかったように思います。
なぜならば、無意識に「役に立つ」ことを探してその場面で頑張ることを選択してきた背景があったからなんです。
全く無意識だったので気付かなかったのですが、思いっきり他人軸でした笑
自分がどんなに大変な情況であっても、他人にとって役に立っているかどうかが基準なので、その役割を頑張らねばならない「ネバべき」で役割を買って出る自分が常に存在し、
もちろん、役に立てると思うから引き受けるのですが、心の中はやらねばにずっと囚われて、心忙しく、それを引き受けてる間自分が楽しいのか嬉しいのか全く感じないままやることに追われていたように思います。
役割をするその裏には、やりたいからやるのではなく、自分の感情を置き去りに、勝手に自己犠牲感すら蓄積していたように思うのです。
ですから、頼まれたことをやらない人は✖みたいな、判断基準も多かったのです。
何らかの事情がありできない人の背景もくみ取らず、ずいぶんと傲慢だったんだなーと自分のことを顧みながら、これが他人を否定したり、自分を否定したりの心の戦争状態を巻き起こす、小さなきっかけだなーとつくづく感じました。
私はnTechに出会い、その心を重くしてきた原因を外から客観的見つめ仕組みを理解し、無意識の囚われを放すことができました。無意識で我慢を蓄積して被害妄想になっていたことを一つ一つほどいていって、人との関わりがとても楽になっていきました。
人間関係って面倒くさいって思っていましたから笑
よくお母さんに共通するのが、子育てを通した役割や任務があまりにも多く存在し続けるので、それに伴ってチームプレイのイメージの悪い部分をたくさん蓄積しているようなんです。
例えば、小学校であればPTAの活動などは毎年引き受け手がいなくて大変だったり
習い事やスポーツでは保護者も影で運営を支えることがあったりと、それを引き受ける人、引き受けない人の間で人間関係が悪くなってしまったり、非難されないように大変な状況であっても我慢してしまったり。
親と子どもを取り巻く外との関係性にはしがらみもあって、卒業や進学と同時に活動が終わってほっとした、なんて話もよく聞きます。
これ、他人軸なのか、自分軸なのかはとても大きい差だと思うのです。
自分の考え、感情、言葉、行動がどこから発生しているのか見てみることは、人生の中の色々な場面を心軽く過ごすための大きなきっかけとなると思います。
子どものために頑張る、〇〇のために、で無理やり頑張るのではなく、自分も心を軽く楽しめることで、他のお母さんたちとのチームプレイを心から楽しみ愛ある活動として関係性そのものも次元上昇していくことができますよ。
そのきっかけに是非であってみませんか?
無意識発見セッションおススメです。
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