みーさんのブログ

心を自由に♡健康な心と体のメンテナンス

私について②辛かった小学生時代

幼少期から内弁慶気味だった私。

なんだか気になることがあってもやもやしていたり、不安な気持ちや、落ち着かない時のそわそわ感。それを感じながらも表現することはなく、むしろ、言葉として誰かに話してみる、という習慣すらなかった私は、小学校高学年の時に、もの凄い不安と怒りを覚える経験をします。(①幼少期はこちら)

 


小学5年生の時でした。
弟が新1年生として同じ小学校に入学してきました。
4歳差ですから、初めて弟と一緒に学校に行くことになったんですね。
実は弟は家族以外とは全く話すことができず、学習の方が少し遅れている、というところがありました。

 

当時、その学校には特殊学級というものはなかったので、弟は普通のクラスに入っていましたが、特殊扱いにはなっていたようでした。本来は母の学校の送り迎えが必要だったらしいのですが、私が行き帰り一緒に通い、私の授業のタイミングが合わない時は、母が弟のお迎えに行く、ということになっていました。

 

 電車が大好きな弟は、通学路に平行した線路を走る電車を立ち止まって見ていたり、電車が来るまで動かなかったりと、なかなか思い通りに進んでくれなかったので、私が後ろから押したり、手を引っ張ったりしながらなんとか毎日通っていた記憶があります。ある時、先生方のストライキの関係で2時間ほど授業の開始時間が遅くなり、いつもと違う時間に通学した時がありました。

 

 電車が思うように見られなかったからなのか、単純に学校に行きたくなかったのか、今になっては分かりませんが、押しても引っ張っても、弟はなかなか動いてくれず、結局弟を教室に送り届けた後、自分の教室のドアを開けたら先生が教壇に立っていて、クラスメイトも全員席に着いていて、その光景に驚いて急いでそのまま席に着こうとした時に、先生から「何か言いなさい」と注意を受け、「遅くなってしまってすみません」と言ったら、「子どもなのに大人の言葉を使うんじゃない!ごめんなさいでしょ!」ときつく言われたんです。

 

私は、私がそんなに悪いことをしたわけじゃないのに(遅刻したのはしょうがないと思っていた)、何で先生がそんなにキツく言うのかが分からず、そして、初めてみんなの前で叱られたことのショックとでパニックになり、涙は出ていたかは忘れてしまいましたが、泣きたい気持ちで「ごめんなさい」と小さい声で言い直して席に着きました。

 

このことは、「しょうがなく遅刻してしまったのに何で?」と泣きたくなったり、先生に対して「酷い」と怒りが出たりして涙が出てくるので両親にはどうしても言えず、先生の顔を見るたび思い出しその感情をひきづってました。が、さらに追い打ちをかけるような事件が起きました。

 

遅刻から数日たったころ、朝の会で突然先生が、「昨日の個人面接で遅刻したお母さんがいました。この前遅刻した人のお母さんです。親子はやっぱり似てるねー」と笑いながら言ったのです。先生は名前は出しませんでしたが、『お母さんのことを言っているんだろうか?」とその時私自身も思ったのと、横からクラスの男の子に「お前のお母さんじゃないの~?」とからかわれ、それがとても嫌な気持ちだったのと、わざわざそんな言い方をする先生に対して「どうして?」というなんだか分からない思いがありました。

 

その日は、複雑な気持ちで学校から帰ってきて、思いきって母に聞いてみました。

「昨日個人面談だった?」

「うん」 

「お母さんもしかして、遅刻したの?」

「うん、少し遅れちゃった。だけど5分くらいだよ」

 

母の言葉を聞いて、やっぱりそうなんだと。

改めて先生に対する怒りがどうしようもなく溢れてきてしまい、遅刻してしまった時のこと、先生が朝わざわざクラスのみんなの前で母のことを言ってきて、もの凄く嫌だったんだ、ということを母に話していました。その時、頭の中では「これを言ってしまったら母が悲しむかもしれないという考えがよぎっていたことを覚えています。

私の言葉を聞いた母は、悲しんでいたかどうかはその時はわかりませんでした。ただ、それを聞いて先生に対して怒っていたような記憶と、弟のことで私が遅刻してしまったことに対してごめんね。と謝られたような記憶があります。その時、私は母に言えたことで溜っていたものが出せて一旦気持ちが楽になりましたが、同時に言ってしまったことで、やっぱり母を悲しませたのかもしれない、とスッキリしない気持ちを味わいました。

 

たまたま私が先生にとって目に付く生徒だったからなのか、先生の虫の居所が悪くて運が悪くそういう扱いを受けたのかは全く分かりませんが、私はこの経験をしたことによって、自分がもやもやしていること(怒りや不安)を思い切って伝えても、それによって誰かを傷つけたり、嫌な思いをさせてしまうかもしれない、そんな不安を持つようになったようです。もともと自分のことを発信する習慣がなかったところから、思わず出してみたところ、必ずしも自分も誰かもハッピーになるわけじゃない、そんな失敗をしてしまったような感覚を持ったことで、さらに自分の思ったままを出すことに躊躇するようになり、怒りや不安、もやもやを結局寝て忘れるという方法で我慢するようになりました。

 

そして自分の感情にふたをして見なくなった私が成長してく中で更なる試練がやってきます。

 

続く